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2000 nice!突破をひとり勝手にお祝いする(1) 私の<鉄>の原点 [自己紹介・思い出話]

9日の80,000アクセス突破に続きまして、10日には
皆さまから頂戴しました「nice!」が2,000に到達しました。
まず、ご覧いただいている皆さまに御礼申し上げたいと思います。

2000nice.png

普段でしたら、2,000に関係ある車両の写真を貼って済ませるところですが、
「2000形」という車両、30年以上前に自分が、この「金失いの道」に迷い込む(?)
キッカケを与えてくれた、思い出深い車両でありました。

今日から3回にわたって、その車両について語ってみたいと思います。
(オマエの生い立ちなんて興味ないんだよ!! と言う方には申し訳ありません)

その第1話は、自分が幼稚園から小学校低学年だった、80年代半ばに遡ります。
では、そのころの時代というか空気感を思い起こしていただければ、と思い
当時、自分が大好きだったTVのCMを動画サイトで見つけてきたので、どうぞ。



当時、子どもながらに「なぜ、会社を辞める必要があったのか?」
それを、うすうす理解していました...そういう小学生だったんです。← オイオイ

……  ……

昭和50年代中頃の話。幼稚園から小学校に上がった頃の自分、
千代田区隼町、ちょうど国立劇場のすぐ近くに住んでいた。

事情があって両親はともに運転免許を持たず、外出はもっぱら徒歩か電車だった。
最寄り駅は営団(!)半蔵門線の半蔵門になるのだが、当時はまだ永田町までしか
走っていなかった。確か、いまの渋谷方面のホームだけの単線のホームで
折返しだった気がする。地下鉄に乗るときは10分ほど歩いて麹町まで行っていた。

だから、自宅から徒歩3分のところに「半蔵門」駅ができるときは本当に嬉しかった。

その半蔵門線が三越前まで開通したのは、小学校高学年の頃か?
昭和が平成に変わって間もなく、「青山一丁目」に引っ越したから、
水天宮前開業の頃はすでに隼町にはいなかった。

その当時から都心部を縦横に貫いていたのが、営団地下鉄。
赤いSのマークは毎日のように目にしていた。

読みもしないクセに(笑)、本を買いあさるのが趣味(注:今も変わらない)の、
父親に連れられて神保町の書店巡りをするのが小学生当時、日曜日の午後の恒例行事。
勉強が大の苦手だった自分には、それは楽しくなかったが、万世橋近くの
レストラン(いまも健在!!)でハンバーグを食べて帰って来るのは楽しみだった。

199307_shimbashi_eidan2000_10.jpeg
【1993年7月頃】 営団銀座線・渋谷駅

神田からの帰りの電車は銀座線。リベットが見える鉄骨のホーム支柱、
断面の小さいトンネル、厳めしいカバー付きの第3軌条...独特の雰囲気があった。

大きな窓のオレンジ色の電車が、オデコのところの2灯式前照灯を
片方だけを点けて走っているのが当時非常に不満だったが、
駅が近づくと起こる瞬間停電、小学生の自分にはアレが楽しみで楽しみで仕方なかった。

……  ……

当時も今も銀座線は6両編成。赤坂見附の乗り換えを考えると渋谷方の利用が便利。
でも、当時の銀座線のオレンジ色の6両編成、信じられない位の雑多な編成。
とくに浅草方2、3両目にはリベットの目立つ片開き扉車が入ることが多く、
親にせがんでは叱られながら、何度か乗せてもらったのが、<編成観察>の最初か。

小学校中学年にもなると進学塾に通うのが周囲でも一般的になった。
小4から八丁堀にあった大手進学塾に通うことになった自分。
宿題・テスト...辛いことばかりだったが、行き帰りの営団地下鉄が楽しみだった。
もちろん、八丁堀と半蔵門間の経路に銀座線を入れるようにした。

199307_shimbashi_eidan2000_06.jpeg
【1993年7月頃】 営団銀座線車内

すでに雑多な片開き扉車は姿を消していた。
中間に運転台の入らない2000形+1500形編成がほとんど。
でも、中に一部、ちょうど旧型車時代の丸ノ内線のように、先頭車を6両重ねた
編成があり、全車が“停電”する、この編成がやって来ると狂喜乱舞(?)した。
当然、その見分け方を研究した。分かったことは、前面の方向幕が違うこと。
末期の写真にある青地に白字の大型幕は中間が1500形、この半分くらいのサイズで
白地に黒字の小さな方向幕だと、その雑多な編成だろうと知ったのであった。

地下鉄だから前方カブリツキは期待できない。
だから、最後部の運転台(車掌室)を覗き込むのが日課だったが、
当時の営団線は車掌の椅子使用が、ご法度だったようで、車掌さんは常に立っていた。
運転席側の窓を覗くのが習慣だったが、その目の前にじっと立つ車掌さんもいた。
こうなると楽しみも半減。当然(?)、車掌さんがどこに立つのかも研究した。

その結果、名札に「車掌」とある人は非常口扉前(中央部)、「車掌主任」とある人は
運転台部分に立つという発見に至ったのである。(実際の所は確かめたこともないが...)
だから、乗車時に車掌さんの名札をチェック、自分がどこに陣取るか、それで決めていた。

……  ……

以前も書いた通り、こんな感じだったから、もちろん中学受験には失敗した。
でも、この年齢で「旧型車両」というジャンルに嵌っていくことになったのである。(つづく)

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コメント 9

あおたけ

銀座線の2000系、懐かしいですね!
何度も乗ったのに、結局さよなら運転しか撮っていませんでした。
そのころから「葬式鉄」だったのかな・・・(苦笑)
銚子電鉄の1001号が銀座線色になるそうなので、
そちらも楽しみですね〜(^^)
by あおたけ (2012-06-14 09:10) 

あるまーき

あおたけさん

いつもコメントありがとうございます。
銀座線の2000形、大好きだったのですが自分も引退が発表されてから、渋谷駅で撮ったのが最初で最後になりました。その後継の01系も数年以内に置き換えられるそうですが、それでもまだ、2000形が姿を変えながら銚子で健在なのは嬉しいところです。銚電、沿線のロケーションも素敵だと聞いていますので、ぜひ一度訪れてみたいと思います。
by あるまーき (2012-06-14 10:33) 

ミスター仙台

禁煙パイポのCM、懐かしいです。何で「私はこれでで会社を辞めました」と言ったおじさんの小指の意味が当時の自分は???でした。
それと銀座線ですが、記憶にあるのが小学生の時に乗って、走行途中に車内の室内灯が急に消える事だったかな(間違っていたらスミマセン)・・・
by ミスター仙台 (2012-06-14 11:46) 

あるまーき

ミスター仙台さん

コメントありがとうございます。あまり、TVを見ない父が、大ウケしていたのが印象的で今でも話題にのぼるCMです。確か禁煙パイポを買ってもらった記憶があります。この当時のCMって探してみると、いまのものとは違った面白さのあるものが多いようです。

さて、ご記憶の通り、旧型車時代の銀座線といえば瞬間停電です。
駅の手前とポイント通過時の数秒間、室内灯が消えてドア横の非常灯だけになるのが名物でした。続編でまたご紹介しようと思いますので、ご覧いただければ幸いです。
by あるまーき (2012-06-14 11:57) 

トータン

2000 nice! おめでとう御座います 凄いですね~ 私の場合は2000 nice!いただけるまで相当な期間が掛かりました(^^;
by トータン (2012-06-14 12:52) 

あるまーき

トータンさん

コメントありがとうございます。
また、2000nice!についても、ご祝辞、ありがとうございます。
大した写真が撮れるわけでもなく、お恥ずかしい記事ばかりではありますが、これからも頑張って更新していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
by あるまーき (2012-06-14 22:53) 

ねじまき鳥

2000nice!おめでとうございます。

by ねじまき鳥 (2012-06-14 23:36) 

たじまーる

こんばんわ (*^_^*)
2000nice! おめでとうございます \(^o^)/
これからもあるまーきさんの
いろいろな鉄道写真を楽しみにしてます (^_-)

禁煙パイポのCMは懐かしいですねえ。。。
自分も当時小学生でした♪
by たじまーる (2012-06-14 23:36) 

あるまーき

ねじまき鳥さん

ご祝辞、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

たじまーるさん

ご祝辞とコメントありがとうございます。
こんな写真ばかりでお恥ずかしい限りですが、今後ともご覧いただければ幸いです。

禁煙パイポのCM、うちの中だけの流行かな、と少し不安だったのですが、リアクションがあって、少しホッとしております。
by あるまーき (2012-06-14 23:56) 

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