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営団日比谷線「さようなら3000系記念乗車券」(1994年7月) [その他の鉄話]

来週いっぱいまでネタ切れに悩むことになっている拙ブログ。

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【1994年7月】 営団日比谷線・南千住駅(後追い)

ネタ探しに引き出しをかき回した結果、今日はこの話題をもう一度。
“もう一度”というのは、拙ブログ初期の頃、こんな記事を書いているから。

大相撲のある時期は“撮影自粛期間”としている<変態鉄>の場合、
書きダメしているネタもなく、仕事も忙しい時期となれば、ブログで取り上げる
ネタが尽きてしまうのである。

でも、その前に。

う~ん、八角理事長(もと横綱 北勝海)のコトバがズバリ言い当てていた。

「昨日までも稀勢の里、これもまた稀勢の里」

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【2015年4月29日10時22分】 東京都墨田区・両国国技館(稽古総見一般公開)

3日連続で横綱を撃破、大逆転での初賜杯が視界に...
と、思った矢先に平幕に負けるという。

などと書いている内に、力三郎くんが優勝...う~ん。

……  ……

さて、ご紹介するのは、1枚の古びた記念きっぷとカード。

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話は1994年(平成4年)の初夏に遡る。<変態鉄>が、まだ高校生だった頃である。
中学受験に見事失敗した<変態ガキ鉄>、そのまま塾通いを続けて高校受験に
再挑戦することを余儀なくされた。その塾があったのが日比谷線の人形町。
小学生の頃に通っていた塾も、同じく日比谷線の八丁堀だったから、
小学4年生から中学3年生まで6年間に渡って日比谷線にお世話になった。

当時は東武、東急のいずれにも乗り入れ。東武からはセイジクリームの2000系、
東急からは名車7000系が青色の「日比谷線直通」の表示を出して。
そして、営団が3000系だった。高度成長期に製造された3形式、いずれも非冷房。

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【1994年7月】 営団日比谷線・南千住駅

ただ、車両冷房が当然のことになってきていた昭和から平成初期にかけて、
直通先の2社から車両の置き換えが始まっていた。東急は1000系、東武は20000系。
両社とも直通先路線は20メートル4扉車に統一していた中で、日比谷線直通だけに
18メートル3扉車を新製して対応、一気に涼しい電車になったのだった。

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【1994年7月】 営団日比谷線・南千住駅

営団地下鉄も03系を投入、順次、3000系電車の置き換えを進めて、
1994年夏をもって全車の置換が終了することになった。

蒸し暑くて、夏場は「勘弁してくれ~」とばかりに、1本遅らせてでも冷房車を
選んで乗ることもあったが、長年乗っていた電車が無くなるとなれば、
名残惜しく感じるわけで...

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ネットなど一般的で無かったこの時代、毎月、駅の券売機ヨコに置かれる
「メトロニュース」が営団地下鉄のイベントに関する情報源だった。

B5版を3枚繋げた3つ折りだった時代から“愛読”していたが、当時は縦長のもの。
その、1994年7月号に「日比谷線3000系車両 さよならイベント」の文字。

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乗車撮影会のイベント、往復葉書を差し出したのはハッキリ覚えている。
もちろん、落選っ!!!

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【1994年7月】 営団日比谷線・南千住駅

そのかわり、1994年7月のある朝、高架駅の南千住駅ホーム端で撮影に臨んだ。
車両の愛称だった“マッコウクジラ”に因んだ装飾を施されている。

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【2012年2月20日17時14分】 長電屋代線・屋代駅

銀色、無塗装の姿は撮れずじまいだったのだが、長野電鉄に譲渡された車両が
いまでも信濃路を走っている。その気になれば会いに行けるのだが...

しなの鉄道に169系急行型電車を追っていた頃、屋代駅ホームに停車中の姿を
撮ったことがあるだけ。


ということで。

「1994年7月23日 帝都高速度交通営団」の文字と3000系電車のイラスト、
その封筒を開けてみると...

05_ticket.jpg

中央には日比谷線3000系の写真。「さようなら3000系記念乗車券」の文字。

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そして、2つ折りの台紙には北千住から中目黒までの各駅からの硬券乗車券。
ただ、保存状態が悪かったみたいで、硬券はすっかり灼けて変色してしまった。

ちょうど東京がオリンピックに沸いていた頃、日比谷線は開業した。
そのときに投入されたのが3000系電車。台紙上部にはスカート付きの初期の頃の
同形式が並んだ写真。そのヨコには3000系の歩みが簡潔にまとめられている。

そして、メトロカード。共通化されて「パスネット」になる遙か前。
国鉄 → JRが「オレンジカード」、一方、営団地下鉄は「メトロカード」だった。

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日比谷線のラインカラーに合わせたシルバーの台紙、2つ折りになった内側には
記念乗車券と同じ文章とともに、越谷市内の東武線内で撮影された3000系電車の姿。

黄色い化粧板の内装、ステンレス無塗装の客ドアは俗に“監獄窓”と呼ばれる
天地寸法が小さいタイプ。何でも小さな子どもがドア窓から外を眺めることによる
戸挟み事故防止のためだったなどとも言われているが、銀座線から半蔵門線まで
当時の営団地下鉄の電車では一般的な仕様だった。
当初、臙脂色だったロングシートは後にブラウンに変更されたような気が。

08_hibiya_metoca_a.jpeg

あの頃、毎週乗っていた電車、まさにその姿である。

こうやって、引き出しを漁って古いきっぷ類を“発掘”してみると、
その電車のことだけではなくて、その頃の自分のことも思い出してくるから
何だか不思議な気がする。

中学時代の記憶がいろいろと甦ってくるのである。あれから20年、嗚呼。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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