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2008.8 美祢線 快速「おいでませ山口」号撮影記(5) [鉄分の濃い旅行記録]

ここのところ、<鉄>の間で話題になっているのは、何と言っても30年前の4月。
ついこの前、39歳になった<変態鉄>にとって「30年前の4月1日」というのは
9歳だった。東京から新生JRの旅客各社の拠点駅に向かって臨時列車が運転され
TVのニュースでも取り上げられ、一大イベントだったように記憶している。

<変態鉄>が本格的に<鉄>活動を始めたのは中学生になる頃から。
つまり、1990年台最初の方。昭和が平成にかわり、JR各社は競って意欲的な
新型車両を投入していながら、まだ、大半の列車も職員も施設も“国鉄”を
残していた。いまにして思えば一番良い時代だったのかも知れない。

その「国鉄」の略証は「JNR」。そのロゴマークを掲げた車両も多かった。

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【2008年8月17日14時48分】 山陰本線・長門市駅

2008年8月に美祢線を走った臨時快速「おいでませ山口」号のヘッドマーク。
よ~く見れば、水色の「JNR」ロゴがあしらわれたデザインだった。

国鉄型キハが国鉄のロゴを掲げて走る...、いまから9年ほど前、そんな列車を
撮る機会に恵まれたのだが...。それを“会心の1枚”にできなかった自分。
拙い写真で引き続き、この2日間を振り返っていきたい。

……  ……

2008年8月17日(日)くもり

あまりパッとしない天気だった。厚狭駅で新幹線をスナップして...
でも、昼食をとれるテキトーなお店は発見できず、菓子パンで済ませて
厚狭駅 13:12発の美祢線キハ120で再び長門市に戻るのだった。

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【2008年8月17日14時30分】 美祢線・長門市駅

ということで、16時半のキハには、少し早く長門市駅にやって来たのは
昨日の“教訓”かも。道路に面した0番のりばに停車しているキハをスナップ
することができるとわかったから。

天気は決して良くなかったが、傘をささずに撮影できるだけでもラッキー。

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【2008年8月17日14時21分】 山陰本線・長門市駅

早速、改札を出て。
走行写真は失敗につぐ失敗だったので、こういうところでの編成写真だけでも。

上半分が黄色の広島色キハ40と並んだキハ58+キハ28「国鉄急行色」。
この写真が撮れただけでも、収穫だったのである。

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【2008年8月17日16時03分】 山陰本線・長門市駅

さて、時間を潰して、再び長門市駅0番のりば。
15:50を回って、運転士さんの姿。キハの車輪に置かれていたハンスコを外すと
夕方の運用に備えてキハの点検作業開始。

そして、16時を回った頃に、16:30発の仙崎ゆきローカルとしてキハの扉が。
いわゆる“同業者さん”が中心。でも、それほど車内は混雑することも無く。

16:30、山陰本線の臨時9641D列車として発車。長門市駅の構内を外れて
山陰本線と別れ、数分進めば枝線の終点・仙崎駅へ。

前の記事に出てきた「みすゞ潮彩」の愛称の由来にもなったのが童謡詩人
金子みすゞの記念館はこの駅近くにある。また、青海島への観光船乗り場は
駅のすぐ近く。駅自体は棒線式の寂れた終着駅。
かつては行商の利用が多かったという、小さな港町の終着駅である。

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【2008年8月17日16時39分】 山陰本線・仙崎駅

いまではホームのある1線以外は線路も剥がされており、無人駅になっている。
駅のヨコにスーパーがあったので、ここでパンを買って駅構内外れの踏切から
キハの姿を。仙崎駅での折返し寺間は30分ほど。

ほとんど乗客は変わらないまま、17時過ぎに折返し厚狭ゆきとして発車。

ちょっと冷房が効きすぎ...といった感じの車内。
思ったほどの混雑にはならず、夕方の美祢線を快走。急行型のゆったりサイズの
ボックスシートを独り占めして車窓を楽しむことができた。

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【2008年8月17日18時17分】 美祢線・厚狭駅

そうすると厚狭駅まではあっという間だった。18時過ぎ「おいでませ山口」号は
厚狭駅に到着したのだった。さっそく、厚狭駅ホームは“撮影会状態”。

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【2008年8月17日18時19分】 山陽本線・厚狭駅

大急ぎで跨線橋の階段を駆け上がり向かいのホームから。
厚狭駅は構内も広く高架化もされておらず、国鉄時代の主要駅の雰囲気を
色濃く残している駅で。う~ん、堪らん。

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【2008年8月17日18時20分】 山陽本線・厚狭駅

当時の<変態鉄>とは異例(?)の、こんな撮り方までしていたのだった。
キハの回送を待たずに、山陽本線・広島ゆき普通電車は115系8連。
18:24発の電車は少し遅れ気味だったが、とにかく宇部駅へ。

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【2008年8月17日18時40分】 山陽本線・宇部駅

8月といえど、18時半を過ぎれば走行写真を撮るにはギリギリの状況で。
ちょっと遠めの位置で、ホームに進入してくるキハの姿を捉えた。

回送だが、山陽本線の線形もあるのだろか、“急行型”に相応しいスピードで
人気のない宇部駅のホームを一気に駆け抜けていくのだった。

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【2008年8月17日18時41分】 山陽本線・宇部駅(後追い)

もちろん、<変態鉄>としても必死でシャッターを切り続けるわけで。
引きつけてのカットは、シャッター速度が稼げない状況では被写体ブレ撃沈。

後追いで撮った、この写真がこの“出撃”でキハを撮った最後の1枚だった。

……  ……

国鉄の主要路線が開業していった明治から昭和初期にかけて、街の玄関駅が
市街地から離れたところに開設された例は多い。

さまざまな理由で反対の声が上がったという言い伝えが残っているところもあれば
線路を敷くにあたって地形的、土木的な観点から泣く泣く中心部への乗り入れを
断念したところまで...

例えば、青森県の八戸。東北新幹線の八戸駅から八、戸線というローカル線で
数分乗ったところ、本八戸駅周辺が本来の中心街。
熊本もそう。JRの熊本駅から市電で10分ほど行ったあたりが繁華街と中心街。

宇部も、さまざまな理由で山陽本線の宇部駅は、駅としては街の玄関駅だろうが、
中心街からは遠く。宇部線の宇部新川駅の近くが中心部となる。

「山陽本線の主要駅だから、駅前に夕食をとれる店くらいあるだろう」
という<変態鉄>の読みは甘かったのである。

当時のメモ帳には、そのイライラもあっただろうが...

 「駅舎も立派な公衆トイレのような軽い感じの建物」

と、お叱りの声が届きそうなことを書いていた。
空腹に悩まされた美祢線キハを撮り続けた2日間が終わっていくのだった。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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