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美作にキハを追って(9)展示運転っ!! = キハ702車歴編 = [保存車・廃線跡]

<変態鉄>は学生時代、バイトに明け暮れ、資金が確保できれば全国へ<鉄>活動に。
まぁ、何ともダメ学生だったわけだが...

そんな大学時代、ある教授が言った一言、いまも覚えている。曰く、

 テストのときに、カンニングしようという学生がたくさん居るのは分かっている。
 でも、できるだけ使いやすいカンニング・ペーパーを作るために、講義ノートを
 できるだけ小さな字で必死に書き写す、その作業こそが最高の勉強である

と。なるほど、講義の要点を理解し、ポイントとなることを分かっていないと
ノートや資料のどこの部分を書き写すのが良いのか分からず、テスト中に役に立つ
ような“良品”はできない...というのである。だから、そのために必死になって
学期アタマからの講義内容を見直さないと行けない訳で。それこそが学生にとって
最大の勉強の機会なのだとか...

絵に描いたような典型的ダメ学生だった自分、いろいろな方法で...
でも、カンペを書いているうちに、いつの間にか要点は覚えてしまって、
結局、テスト時間になると一種の“おまもり”のような。見ないで済んだことが
多かったような気がする。

実はコレ、いまの趣味活動に関しても同じような気がする。

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【2017年7月2日13時15分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

こんな、何の役にも立たないブログを書くために、必死になって資料を調べて...
1両の保存車の経歴をまとめるだけで、かなりの“大仕事”になってしまう。
でも、その中で“発見”もあるし、次に見たとき、乗ったときの興味・関心も。

今回、7月2日の展示運転で、撮影して、乗車して...存分に楽しませてもらった
キハ702号車も、すでに御年83歳。その経歴を調べるだけでも、<変態鉄>の
足りないアタマでは、まさに湯気が上がりそうな...、そんな必死のレポート。

……  ……

2017年7月2日(日)くもり一時雨

午前中、最後の展示運転は黄福棚原駅止まり。1時間余りの“昼休み”の後、
吉ヶ原ゆきとして発車する。吉ヶ原駅ホーム上で昼食を済ませ、徒歩5分ほどの
黄福棚原駅へと歩いて行くと...

場内信号機のところを過ぎて、駅舎が見え始めた頃...

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【2017年7月2日12時52分】 片上鉄道保存会・黄福棚原駅

ポツリポツリ...と雨が落ちてきたと思ったら...

たぶん、ものの数秒か10秒程度で空は鉛色の雲に覆われ周囲は薄暗く。
折りたたみ傘を取り出しても。傘をさしてもズブ濡れになるような激しい雨、
咄嗟に<変態鉄>は黄福棚原駅に停車中のキハの車内へと逃げ込んだのだった。

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【2017年7月2日12時53分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

窓上の広告枠に、この車両、キハ702号車の経歴が貼り出されていた。

昭和に入るとようやく国鉄でも“内燃動力車”の開発が本格化する。
当初は船舶用ガソリンエンジンを手直ししたものでスタート。もちろん、エンジン
出力が低く、“客車”や“電車”よりも一回りも二回りも小さな車体で。

連結運転を行わない地方の超閑散線区や都市部の高頻度運転用に特化して、
徹底的に軽量化が図られたこともあったが、ガソリン動車も徐々に大型車体の
ものが登場し、その“完成形”として1935年(昭和10年)から製造されたのが、
当時のキハ42000形。19メートル級車体、3扉クロスシートというのは電車に比べて
遜色のない車体サイズになった。

1936年(昭和11年)に川崎車両で製造されたキハ42029号車が後の片上キハ702。

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【2002年頃】 福岡県北九州市・九州鉄道記念館

当時のスタイルは、こんな感じだったはず。当時の“流線型ブーム”に乗ったと
されているが、当時は「機械式」であり、連結運転(総括制御)ができないという
大きな欠点があった。そのため、丸っこくデザイン重視の車体にしても実用上の
問題が起きにくかったこともあるかも知れない。

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【2010年5月5日10時03分】 大糸線・頸城大野-根知

ちなみに、「キハ42000形ガソリン動車」の新製に合わせて制定されたのが、
黄褐色2号と青3号のツートンカラー、大糸線でキハ52 125が纏っていたカラーは
この車両から始まっている。

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【2017年7月2日13時57分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

でも、この丸っこい前面フォルム...

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【2010年6月25日10時45分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡

<変態鉄>にとっては、絶対にコレである。
名鉄の前身(の1つ)でもある美濃電気軌道の電車として製造されたモ510形。
ただ、ちょっと印象が違って見えるのは...

それは、車内の様子を眺めてから。
“雨宿り”と思ってキハの車内に“逃げ込んだ”不謹慎野郎の<変態鉄>。
冷房の無い車内は、まさに“蒸し風呂状態”、それはそれで大変だったのである。

それは兎も角...

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【2017年7月2日12時56分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

車端部はロングシート、何だか吊りかけ駆動のレトロ電車に乗っているような...
そして、ちょっと見上げてみれば...

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【2017年7月2日12時56分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

もちろん、網棚は網なのである。金属のパイプでは無い。
尤も、これは<変態鉄>にとっても、そう珍しくは感じない。

そして、車内を見回してみると...

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【2017年7月2日12時53分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

ちょっと見づらいかも知れないが、天井は白熱灯照明。蛍光灯化されることなく
いまに至っている、ちょっと貴重な車両である。

中ドア付近にステンションポールの存在が確認できる。最近の通勤電車では、
混雑時の立客対策としてステンションポールのある電車も。でも、こちらは
車体強度の維持のために付けられたものかと思われる。

写真奥、H字ポールで仕切られただけの半室運転台は、何だか路面電車のような...

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【2017年7月2日13時03分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

その半室運転台。やはり、シンプルな機器配置であり、しかもかなり狭い!!
そして、注目は座席。ボックスシートがズラッと並んだ配置は当時としても
一般的な車内レイアウトだが、でも、3~4日前の旧型客車の車内と比べたら...

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【2017年7月2日12時18分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅(ホハフ3002号車内)

参考までに3日前の記事に載せた、ホハフ3002号車(旧国鉄オハ35形)の車内。
ニス塗りとペイント塗り潰しの違いではない。

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【2017年7月2日13時14分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

こちらがキハ702号車の座席である。
そう、背もたれの高さが全然違うのである。こういう感じの背ズリの低いシート、
昭和20年台くらいまでのディーゼル動車の車内でも見かける。

そう、機関車が先頭に立つ客車とも、屋根上のパンタグラフで集電して走る電車とも
違って“内燃動力車”は床下に燃料タンクとエンジンを全て備えないといけない。
車体重量の増加は、モロに走行性能に跳ね返ってくるわけで...

エンジンの開発にてこずっていた国鉄にとっては、内燃動力車というのは
ローカル線の短距離運用と割り切って、できるだけ簡素な車体にする必要が
あったわけである。そう、先の話題、丸い流線型の前面を持つ名鉄モ510形電車と
比べたときの外観の印象の違いは屋根の深さ。これも昭和30年台に入って、
海外から学んだ車体軽量化の技術が実用化されるまでのキハは、とにかく簡素な
設計に徹していたのだった。

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【2017年7月2日13時33分】 片上鉄道保存会・黄福棚原駅

さて、ちょうど戦争に突入していく時期にあたり、ガソリン動車の完成版として
150 PS/1500 rpmまで出力を高めた「GHM17」エンジンが搭載されて華々しくデビューも、
まもなく燃料事情の悪化で運用停止に。一部は天然ガスエンジンに改造されて
活躍したが、戦後、1951年からは、ようやく完成した「DMH17」エンジンに換装、
ディーゼル動車化が始まっている。当時の国鉄キハ42029号車は、
1952年(昭和27年)3月にディーゼル化とともに、液体変速機を取り付け、
連結しての運転(総括制御)の長期耐久試験が行われた。
(この頃、車体が42014号車のものと振り替わっていたという説も。)
ディーゼル化に伴い、形式・車両番号が変更となり、キハ42504号車となる。

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【2017年7月2日12時53分】 片上鉄道保存会・キハ702号車内

しかし、後継キハが続々誕生、車体軽量化技術も当たり前のものになり、
急行型や特急型のディーゼル動車が本格的に導入されるようにまでなれば、
戦前製の簡素な車体をもつキハは引退の時を迎えるわけで...

1966年(昭和41年)7月に国鉄での廃車となった。最終配置は千葉局の勝浦。
なお、途中の1957年(昭和32年)に形式称号規定が改定されており、それ以後は
キハ07 5号車になっていた。

それにしても、「千カウ」...ということは...

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【2017年1月28日8時15分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-上総中川

いすみ鉄道の前身、国鉄木原線は比較的晩年までキハ07形を使っていた路線の1つ。
もしかしたら、この線路を...、う~ん。何かが繋がってきたような...

翌1967年(昭和42年)多度津工場での整備の上、片上入り。
直後にヘッドライトが頭の上から腰のところに移され、同時にシールドビーム化。
ヘッドライトを撤去した“傷跡”がいまも丸いオデコに残っている。

あとは窓サッシの取り替えや車内放送装置の設置などを経て、1991年の
同和鉱業片上鉄道線廃止まで現役で活躍していた。

ちなみに、同形車は3両が転入。そのうち、キハ701号車は、ほどなく同じ県内の
水島臨海鉄道!!! に転籍となって...

ぬぁんと...

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【2017年7月3日8時21分】 水島臨海鉄道水島本線・三菱自工前-水島

旧国鉄キハ10系の置き換えでキハ20形が転入しているはず...
ということは...

臨鉄キハ205から見たら「2世代前の先輩」、いまのキハ37・38形にとっては
水島での「3世代前の先輩」にあたる車両が、このキハ702号車の僚車だった訳で。

そう思うと、<変態鉄>が撮り歩いている路線が、何だか1つに繋がったような。
(かなり強引な理屈だけど...)

もちろん、そんなことは撮っているときには気づくことも無く。
いま、こうして資料を漁りながら、必死にまとめていて気づいたことなのである。

というわけで、話は膨らんで膨らんで...
まだまだ続く、このシリーズなのである。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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