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灯台モトクラシー(6)田端で... [東京鐵話]

そもそも自分は風邪を引かないタイプの人間だったはずだが、
ちょっと喉が痛くて難儀している。それ以外はどうということも無いのだが。

そんな訳で、ちょっと...。

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【2017年3月3日13時40分】 千葉県松戸市紙敷付近

さて、引き続き3月3日の話題。

「昭和の杜」の見学を終えて京成線で戻った先は日暮里駅。
ここから、山手線に乗り換えて、田端駅までやって来たのだが...

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灯台モトクラシー(5)昭和の杜 <後編> [保存車・廃線跡]

学生時代、授業中に眠くなったとき。目を覚ましてノートをとろうと必死になって。
そういうとき、後から見返したら何を書いたか意味不明なことがフニャフニャと
書かれている...、そんなことって、皆さんには無かっただろうか。

<変態鉄>にはそういう経験がたくさん。

文字がだんだんヘロヘロになって、力なく鉛筆の線が途切れる...など日常茶飯事。
幸い、ほぼ判読不能な文字で、でも、周囲に見られては困るようなコトバが
書かれていて、ひとり顔を真っ赤にしながら消しゴムで消していたり。

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【2016年4月3日10時20分】 水島臨海鉄道水島本線・弥生-浦田

仕事を終えて帰宅してからパソコンを開いてブログを書いていると、
時折、そんなことがある。昨日の水島臨海キハ20の記事は、事前に書き上げて
予約投稿でアップした記事なので、そんな心配は無かったのだが、
その前日は...。ウトウトしながら、睡魔と闘いながら書き上げた記事。

「もうちょっと、ちゃんと調べて書けば良かった」
と、思う箇所も多々あるのだが、そのままにしてしまった。

ということで、「昭和の杜展示館」に保存されている鉄道車両の話題。2回目。

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500 km先からお別れの一言。(水島臨海・キハ20の思い出) [水島臨海鉄道キハ20]

「国鉄」、“日本国有鉄道”という名称が消えて4月でちょうど30年になる。
30年前と言えば<変態鉄>が小学生だった頃。だから、国鉄の最末期というのは
ちょっとだけ記憶にある。

でも、その頃、よくわからなかったがTVのニュースで「国鉄」と聞けば、
大抵は「スト」の話題。朝から電車が停まって大混乱、果ては浅草橋駅に
火を付けて燃やしてしまったり...
幼心に、「国鉄」というのは大変なところなのか!? と思った記憶が。

ちょうどその頃、四国で1両のキハが廃車になっていた。キハ20 321号車である。
倉敷市の臨海部、水島工業地帯への通勤の足を担う水島臨海鉄道に譲渡され
同社キハ205号車として、それから30年、倉敷の街を走り続けてきた。

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【2015年1月18日10時58分】 水島臨海鉄道水島本線・水島駅

<変態鉄>が、この“水島キハ20”に初めて出会ったのは2000年春のこと。
ワンマン化改造もされず、車内の隅々まで「国鉄のかほり」が残っていた。

そんなキハに惹かれて、何度も倉敷を訪れていたのだが、最後まで残った
キハ205号車が今月限りで引退することになり、19日は水島本線で“お別れ運転”。
絶対に駆けつけたいと思っていたのだが、生憎、公休日は1日ズレて18日。
しかも、19日は午前出社の勤務シフトで...嗚呼。最後の勇姿を撮りに行くのは
叶わぬこととなってしまった。

ということで、ひとり勝手に、これまで撮った水島臨海鉄道キハ20形の姿を
振り返って。

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灯台モトクラシー(4)昭和の杜 <前編> [保存車・廃線跡]

仕事がぁ...と書いても仕方ないのだが、でも...
いまからでも、駆けつけたい撮影地はある。でも...

3月から4月にかけては、非常に忙しい時期が続くのである。
「忙しい」というより、“時間がかかる”というのが正確かも知れない。

稀勢の里にとって横綱として初めて迎えた今場所、その活躍も気になるのだが、
早朝3:45からの某公共放送「大相撲 幕内の全取組」で確認するのが精一杯、

そんな中、夕食を済ませると日付が変わっていて、その「幕内の~」が始まる
までに拙ブログ記事を書いてアップするという日々が続いている。
皆さんのブログにお邪魔している時間もなかなかとれず...
本当に申し訳ない次第。

さて、そんな愚痴を言っていても...

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【2017年3月3日13時30分】 千葉県松戸市・昭和の杜展示館

3月3日のお出かけの話題。松戸市郊外の「昭和の杜展示館」を訪れた。
営団2000形、というか、銚子電鉄1001号車の姿はすでに記事にしたので、
その他の展示物の話題を<鉄>系に絞って...

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灯台モトクラシー(3)不惑を前にロストバージン その2 [東京鐵話]

タイトルからしてソネブロでの先輩<鉄>の、あの御方のパクリだが...
ちなみに、「その1」に該当する記事はこちら

東京で39年間過ごしていても、行動エリアはそれほど広がるわけでは無く。

例えば、何かのお店を探そうと思っても「東京店」というのが都内に1つだけ
というパターンは意外と少なく、例えば、都内の東西に1箇所ずつ、
「新宿店」と「上野店」のような感じで、2箇所以上にあるケースが多く、
そうなれば、もちろん「新宿」で用を済ませることになるので、
都内に住んでいると意外なほど日常の行動範囲は狭くなるもの。

趣味活動以外では、デブ症、もとい「出不精」の自分の場合、都内でも
山手線から東側のエリアは素通りこそすれど、出かけることは滅多に無い。
だから、都内の鉄道でも東武とか京成とか、最も縁が薄い路線なのである。

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【2014年9月1日12時18分】 京急空港線・羽田空港国内線ターミナル駅

<変態鉄>にとって“京成電車”と言えば、羽田空港に行くときに
直通先の京急線で乗ることがある程度。複雑に入り組んだ支線や、
系列会社の路線など、なかなか縁が無いのである。

そんなわけで、金町駅にやって来たのは...

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2,000記事到達を記念して!? 2000と言えば... [自己紹介・思い出話]

何をしても長続きしない性格の自分。
だから、自分自身が一番驚いている訳ですが...

2011年10月28日の開設から1つ1つ重ねてきた、拙ブログの記事数、
とうとう、2,000記事に到達しました。

こんな駄文に日々、お付き合いいただいている皆さまには
改めて感謝を申し上げたいと思います。
そんなわけで、「2,000」と言えば...

かつても、ご紹介したことがありますが...(→ こちら

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【2017年3月3日13時24分】 千葉県松戸市・昭和の杜展示館

<変態鉄>が、まだ、<変態ガキ鉄>だった1980年台、小学生だった頃、
塾通いで毎週乗っていたのが営団地下鉄銀座線。

オレンジ色に塗られた2000形電車に乗れるのが楽しみだった。
当時、既に01系の投入が本格化しており、少しずつ数を減らしていた頃、
駅到着前の“瞬間停電”が楽しめる(?)、この電車に乗るのが楽しみだった。

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【2014年2月9日15時07分】 東京メトロ銀座線・渋谷駅付近

当時、2000形を置き換えていく“憎らしい存在”だった後継の01系が、
新型1000系に世代交代、今月で全車が引退となった。
それだけ、自分も歳をとったということかも知れないが...

と言うわけで、2,000記事を記念して、<変態鉄>にとって、<鉄>になる
キッカケにもなった思い出の営団2000形電車の話題を。

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灯台モトクラシー(2)いまさらながら... [東京鐵話]

今日の話題に入る前に。
最近、ちょっと仕事で疲れている。それぞれの人がそれぞれのポジションで
ベストを尽くしても、それらを合わせると迷走しているような...そんな感じ。
なかなかこちらの意図するところが伝わらないもどかしさと、徒労感。

いろいろあって、拙ブログにログインできるのも、深夜のこの時間帯だけ。
そんな状況だから、趣味活動もなかなか...

でも、だからこそ!?
4月の出撃予定を決定したのである。

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【1999年10月28日】 神岡鉄道・猪谷駅(当時)

以前、訪問記を記事にしたことがあるこの路線。
廃線から10年あまり、車庫で非公開で保存されていたディーゼル動車が
いよいよ始動する。体験乗車の募集も申し込んだ。その結果は...

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灯台モトクラシー(1)まさか、西荻窪で!? [東京鐵話]

<変態鉄>は今年で39歳。その“住所”は、一応、ずっと東京にある。
物心つく頃には...、幼稚園のときから半蔵門の近くで、中学生から高校生に
かけては、まだまだマイナーな地名だった頃の“乃木坂”。
「千代田線の赤坂と表参道の間」とか「青山一丁目駅から歩いて10分くらい」とか
そう説明しないと、なかなかわかってもらえなかった。
それが“秋葉原のライバル”として全国区の知名度になろうとは思わなかった。

その後、94年に井の頭線沿線に超してきた。

さて、東京に住んでいると、なかなか東京中を動き回ることは無い。
買い物だって何をするのだって、新宿、渋谷、吉祥寺で何とかなってしまう。
職場も新宿なので、自分の行動エリアというのは基本的に、井の頭線と中央線、
それから山手線(新宿-渋谷)で囲まれた三角形の内部でほぼ完結してしまう。

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【2017年3月3日15時38分】 東北本線・尾久-赤羽

地図を見ないと、池袋も上野も歩けない。
むしろ、“出撃”する機会の多い、富山市内とか大多喜町内の方が土地勘が
あるのかも知れない。先日、田端に出かけたついでに、<鉄>として、
尾久車両センターにいる列車たちを撮ろうと歩いていて...

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62.大混乱の最終列車 [飛越ゴハチを追った日々]

つい先日、8日なのだが<速報版>は書かなかったものの、午前中、某所に
“出撃”していたのだった。

駅前を歩いていて「危ないっ!!」と思ったものの、カラダは言うことを聞かず、
気づいたときにはアスファルトの道路上に横倒しになっていた<変態鉄>。
背負うタイプ、リュックサックタイプのカメラバッグに切り替えたのが幸いして
EOSくんは無事だったのだが...

その倒れる瞬間、何か小さなものが“ピューッ”と飛び出すのが見えたような...

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あとで点検してみると三脚が...
2段目のロックが折損してなくなっていた。こうなると、三脚として用をなさない。
ロックが効かないので三脚を上向きにしておかないと脚が飛び出して...

ちなみに、この朝、撮影地に向かう電車はダイヤが乱れ、
撮りたかったものは撮れず、その帰り、駅に戻ってきたところでコレである。

<変態鉄>が38歳児として迎えた最後の朝は、まさに踏んだり蹴ったり。

だから、その後、新宿に直行してヨドバシで修理依頼。
でも、三脚自体、修理期間が長くなるらしく、3月中には終わらない可能性が
高いそうで...、う~ん。三脚を買い換えるとなると。嗚呼。

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【2011年3月11日20時45分】 高山本線・富山駅

さて、3話に渡ったこの話題。“飛越ゴハチ”最後の1往復は“夜運用”。
富山駅を19時過ぎに出発、折返し20時半に越中八尾から帰ってくる第893D列車が
正真正銘の“最後の飛越ゴハチ”、それに合わせてお別れイベントも開催
されると告知されていたのだが...

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61.「最後の朝」は千里にて [飛越ゴハチを追った日々]

引き続き、6年前のこの話題。

1961年(昭和36年)、急行型ディーゼル動車の投入が始まる。北海道型のキハ56系、
信越型のキハ57系を含めて、全国で1800両あまりが投入された。
非電化区間の急行列車はもちろんのこと、1両単位で運用できるディーゼル動車の
特徴を活かしてローカル列車にも連結されていたし、交流・直流といった
電源方式の違いに関係なく乗り入れが可能なので、東京・大阪などの大都市から
地方ローカル線の駅までの直通急行の運行にも貢献した。

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【2016年11月6日9時47分】 いすみ鉄道・上総中川-城見ヶ丘(後追い)

そんな、昭和30~40年台の国鉄在来線輸送の最盛期を支えた“名脇役”が、
キハ58系急行型ディーゼル動車、<変態鉄>が一番好きな車両でもある。

その最後の定期運用となったのは、富山市が実施した高山本線増発社会実験での
富山-越中八尾間での運用。その社会実験は2011年3月11日まで。
それは、その日をもって国鉄急行型ディーゼル動車の歴史に、事実上、
終止符が打たれることを意味していた(はず)。

“いてもたってもいられず”
まさに、そんな気持ち。10日の晩、名古屋発の夜行バスで富山入りした
<変態鉄>だったのである。

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