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冬晴れの芳賀路にSLを撮りに(8)真岡の屋外展示車たち(その2) [保存車・廃線跡]

拙ブログも開設から5年、毎年、年末には1年間を振り返っての記事を書いていたが
今年は、それを書くことすら...

そう、意外と後が詰まっている。

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【2016年12月17日14時32分】 高松琴平電鉄・仏生山駅付近

「ことでんレトロ電車」の話題も取り上げる時間が無いまま...
年を越してしまいそうな勢い。書き始めると止まらなくなるのは、拙ブログの
悪いところなのだが...、こればかりは変えられないのである。

と言うわけで、今日も引き続き、12月11日の真岡での話題。

「キューロク館」のメインは49671号機の展示運転だろうが、
もう20年以上前の訪問時から、真岡駅は実は<鉄>にとっては
ディープなスポットだった。

今日は、その一端を。

……  ……

2016年12月11日(日)晴れ

その「キューロク」館。屋外には、他にも展示車たちが。
まずは、黒貨車たちである。さまざまな公園や博物館に「静態保存」の
鉄道車両があるが、その大半が動力車。特に蒸気機関車なのが...

「産業遺産」として、保存していこうという機運が生まれてきたのが最近。
だから、昔の貨車の保存例というのは意外なほど少なくて。
“モーダルシフト”が叫ばれて久しく、貨物列車の増発は続いているが、
現在、走っている貨物列車は大半がコンテナ貨車(コキ車)を連ねた
“高速貨物列車”。でも、かつて、ローカル線が元気だった頃...
地方の道路整備がまだまだだった頃には、多彩な貨車を連ねた貨物列車が
ローカル線でも走っていたという。

もちろん、これも<変態鉄>の生まれる前の時代の話だが...

そういう、蒸気機関車にもよくマッチする貨車たちから。でも...。

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【2016年12月11日11時38分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

写真で右の建物が「キューロク館」の展示室。49671号機の顔がチラッと。
正面に居るのが、D51 146号機。そして、右側が真岡鐵道線の駅である。

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【2016年12月11日12時19分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

そのあたり、D51と真岡線の線路の間のスペースに静態保存車たちがいる。
家族連れは、あまり注目しないこれらの貨車たち。誰にも邪魔されずに
見学できたわけで。

でも、意外だったのは...
国鉄のものよりも、真岡とは直接つながりの無さそうな私鉄のものが...

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【2016年12月11日12時16分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

まずは、“少数派”。国鉄の貨車がこちら。
ワフ16、説明看板には「緩急車のうち現存する最も古いものの1両です」と。
全長6メートル余りの小ぶりな車体は、いまの貨車に比べても...。
積載量は5トン、それに車掌(列車掛)が乗務できるようになっていて。
1910年(明治43年)、国鉄鷹取工場製とのこと。

その隣に居たのは、これまた、古典的な...でも、よくまとまった有蓋車。

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【2016年12月11日12時17分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

ワ12である。1934年(昭和9年)製の木製貨車。製造は新潟鐵工所。
そして、側面には蒲原鉄道の車紋が入っている。
ちなみに蒲原鉄道とは磐越西線の五泉駅から分岐していた私鉄で、
1999年に全廃になった。生憎、実見する機会には恵まれなかったが、
茶色と黄色のツートンカラーの電車が走る路線だったことは、鉄道誌の記事で
知っている。

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【2016年12月11日12時17分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

その隣は、ト60。こちらは木製の無蓋貨車である。
車体表記は消えかけているが、こちらは「一畑電車」の文字がかすかに。
説明板によれば、1940年(昭和15年)、日本車輌で製造されたとのこと。

新潟と島根の中小私鉄の貨車が、なぜ、真岡にやって来たのか...
その謎は、とりあえずおいておくとして、キューロクによく似合う“名脇役”
たちが、そばを固めているのである。
整備して、キューロクと繋いで走らせてくれれば...というのは、
単なる“マニアの妄想”の域を出ないわけだが...

そして...

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【2016年12月11日12時18分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

ヨ8016、国鉄末期に貨物列車への車掌乗務は原則取りやめとなり、
このような車掌車(緩急車)は不要になってしまった。
その、最後に量産されたグループがヨ8000形。

四角い車体が特徴だった車掌車の中にあって、凸型のボディはちょっと
近代化された感じで...、写真にも横長の小窓が付いているが、トイレが
備わったのも、この形式から...というか、最初で最後のトイレ付き車掌車。
1974年(昭和49年)製だが、登場から10年ほどで貨物列車自体の削減と
車掌車の連結省略...、あまり活躍の機会は長くなかった。

キューロク館にはヨ8000形が2両あり、もう1両は49671号機とともに
展示走行のイベントに使われている。

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【2016年12月11日12時20分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

それから、珍妙な塗装になっているDE10ディーゼル機関車。
これだけ説明看板が無く、自分にとって“謎の存在”だったのだが、
調べてみると「保存車」として置かれているのではなく...

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【2016年12月11日9時44分】 真岡鐵道・モオカ14-1車内

「SLもおか号」回送用のDE10 1535号機のメンテナンスのための、
部品取り用に確保してある廃車体とのこと。1993年、JR四国で廃車となり、
「関西フレートサービス」に譲渡され、大阪貨物ターミナルの入換え動車に。
その後、2011年頃に真岡に運び込まれたらしい。

でも、四国時代には50系客車改造のジョイフルトレイン
「アイランドエクスプレス」の専用指定機だったというのだから...
白地にスカイブルーの軽快な塗装で走っていたのだろうか。

そして、その隣には...

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【2016年12月11日12時19分】 真岡鐵道・真岡駅「キューロク館」

キハ20 247号車である。タラコ色、首都圏色の姿で佇んでいる。
幌枠までタラコ色なのは、ちょっとヘンな姿だが...

そう、水島臨海鉄道のキハ20と同形である。国鉄時代末期まで真岡線では
キハ20形も運用されていた。新製は1959年(昭和34年)5月、東急車輌である。
新製配置は和歌山、その後、奈良に転属、1980年には真岡に配置換えとなっている。
ということは、間違いなく真岡線を走っていたはずで。
そのまま、1987年(昭和62年)の分割民営化は真岡で迎え、その翌年、
1988年(昭和63年)6月15日付けで廃車となっている。
(最終配置は「盛岡」とする資料もあったが、辻褄の合わないこともあり、
「真岡」の誤記と判断した)

外板塗装はタラコ色だが、近づいてよく観察してみると意外と痛みが
目立っており、なんと言ってもキハ好きの<変態鉄>としては、
D51 146号機や49671号機同様、キハ20も磨き上げて欲しいと願うのだった。

……  ……

そんな「キューロク館」から、線路を挟んで反対側を見てみると...

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【2016年12月11日12時10分】 真岡鐵道・真岡駅付近

こちらにもたくさんの保存車たちが佇んでいるのである。
明日の記事は、年内の通常記事の最終回、これらの保存車の姿を。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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